21歳で独立した。といっても、資格も資金も学歴もなかった。最初の商売は靴磨きで、1日100人に声をかけるところから始まっている。
昼はガソリンスタンドで働き、夜は自分の商売をした。事務所を借りる金がなく、マクドナルドで人と会った。月3万円の6畳の部屋を借りてからは、そこに布団を持ち込んで寝た。
それから15年。堀川拓郎は現在、BONDS Asia Holdings株式会社の代表として、金融、法務、税務、不動産、M&A、マーケティングなど11社の事業会社へ出資・関与している。関わる人は業務委託を含め150人を超えた。日米のディープテックに投資するベンチャーキャピタルへ、LPとしての出資もしている。生活の拠点はUAEに移し、日本と海外を行き来しながら仕事をする。
経歴だけを並べれば、成功譚に見えるかもしれない。しかし本人が今回出す初めての本『経営者のその先へ』(LEADERS PRESS)には、共同創業した会社を離れた経緯、任せた責任者を降ろした判断、優しさと経営責任を混同して先延ばしにした失敗が、そのまま書かれている。
なぜ今、本なのか。なぜ成功ではなく失敗を残すのか。著者本人に聞いた。

「一言で説明できない会社」をやっている理由
――現在は、どのような事業に関わっているのでしょうか。
堀川BONDS Asia Holdingsという会社の代表をしています。名前に「ホールディングス」と付いていますが、現場のサービスを直接提供する会社ではないんです。
私が出資したり関与したりしている事業会社が、それぞれの責任で現場を運営しています。BONDSは、その横断的な部分を担っています。事業の設計、資本政策、提携の推進、経営支援、各社の連携管理。そういう仕事です。
領域でいうと、金融、法務、税務、不動産、M&A、マーケティングなどに広がっています。
――一言で説明するのが難しい経歴ですが、ご自身では何をする会社だと考えていますか。
堀川私は、自分がすべての専門家になるのは無理だと思っています。
だから、必要な専門家をつないで、全体を設計する役割をしています。目の前の経営者にとって、事業と個人資産と家族と採用と承継と海外は、全部つながっている。なのに、相談する相手は分野ごとに分かれているんです。税理士は税務を中心に見ますし、金融機関は金融商品を中心に見ます。
どの意見も、その分野では正しい。ただ、全体を一体で見た答えを、誰か一人が自動的に出してくれるわけではありません。その隙間にいる仕事だと思っています。
――なぜ、一つの事業に絞らなかったのでしょうか。
堀川最初から多角化を目指していたわけではないんです。むしろ逆で、目の前の相談を追いかけていたら、必要な機能が増えていった。
例えば保険だけでは解決できない相談があります。税務だけでも、不動産だけでも解決できない。目の前の方の課題を解決して理想の人生を歩むお手伝いをしようとすると、必ず複数の専門家が必要になります。その結果として事業が増えました。
――規模でいうと、どのくらいになっているのでしょうか。
堀川現在、私が個人または関係法人を通じて出資・関与している事業会社は11社です。関わる人は、業務委託を含めると150人を超える規模になりました。
ただ、これはBONDS単体の従業員数ではありません。各社が別の会社で、それぞれの代表者が責任を持って運営しています。私が全部の社長をやっているわけでもありません。数字だけ聞くと大きな組織を想像されますが、実態は、独立した会社が11あって、私はその間をつないでいる、という形です。
会社を分けているのには理由があります。事業ごとに必要な許認可も、契約相手も、責任を負う人も、抱えるリスクも違う。一つの法人にまとめれば管理は簡単に見えますが、どれか一つの問題が全体に及ぶ可能性があります。
――一人で見きれる数なのでしょうか。
堀川見きれません。だから、各社に経営を任せられる人を置いています。私がやるのは、その人が経営できるように全体を設計して、必要な支援をすることです。
これは26歳の頃に「経営者を育てる経営者になろう」と考えたことを、そのまま会社の形にしたものでもあります。もっとも、任せれば自動的に経営者が育つわけではないと、後でさんざん思い知るのですが。
――最近は、どのような相談が多いですか。
堀川一番多いのは、「何から手をつけていいか分からない」という状態の相談です。
利益が出始めた経営者のところには、いろいろな提案が届きます。保険、不動産、設備投資、海外。それぞれの担当者が、それぞれの分野から正しいことを言う。でも、比べる基準が自分の中にないので、決められない。そういう状態で来られる方が多いです。
そういうときは、商品の話をしません。会社にいくら残す必要があるのか、個人としてどんな生活をしたいのか、家族に何を残したいのか、事業を続けるのか売るのか、どこに住みたいのか。順番に聞いていきます。
そこまで整理すると、必要な専門家が見えてきます。逆に、整理した結果「今は何もしなくていい」という結論になることもあります。それはそれで、はっきりして良かったという反応をいただきます。
――専門家に相談すればいいのでは、とも思えますが。
堀川もちろん最後は専門家です。ただ、税理士に聞けば税務の答えが返ってきますし、金融機関に聞けば金融商品の答えが返ってきます。どれも間違っていません。
困るのは、意見が割れたときです。誰が全体を見て決めるのか。そこは経営者本人が引き受けるしかありません。私は、その手前で論点を整理する役割をしています。
――事業会社への出資とは別に、ファンドへの出資もされていると伺いました。
堀川ファンド名は伏せますが、あるベンチャーキャピタルにLPとして出資しています。日本に拠点を置きながらシリコンバレーとネットワークを持つファンドで、AI、宇宙探査、防衛、バイオテクノロジー、エネルギーといったディープテック領域に投資しています。
念のため申し上げると、私は運用する側ではありません。出資者の一人です。投資先を決めているのも私ではありません。
――なぜ、その分野なのでしょうか。ご自身の事業とは距離があるように見えます。
堀川距離はあります。私は半導体も宇宙工学も分かりません。
それでも出資しているのは、日本とアメリカをまたぐ領域に、自分のお金と時間を置いておきたかったからです。私が普段扱っているのは、経営者の事業と資産という、かなり地に足のついた話です。その一方で、10年後の産業がどこで動いているのかを、当事者として見ておきたいという気持ちがありました。
宇宙ロボットの会社、極超音速エンジンの会社、エッジ向けのAI半導体の会社。ポートフォリオを見ていると、自分が知っている経済の話とはまったく違う速度で世界が動いているのが分かります。
――経営に、何か影響はありましたか。
堀川判断の物差しが増えました。
たとえば「資産を分散する」という話をするとき、以前は通貨や不動産や株式の話でした。今は、まったく違う時間軸のものを持つ、という選択肢も分かります。10年、15年かかるかもしれませんし、結果がどうなるかも分かりません。
だからこそ、経営者に提案するときの言い方が変わりました。目先の税負担を減らすことと、10年後に何が残るかは、まったく別の問題です。両方を一度に最適化する方法はありません。どちらを選ぶかは、その人が決めることです。
これは、自分でLPとして長い時間軸のお金を持ってみたから、実感として言えるようになったことだと思います。
「お金持ちになりたい」としか答えられなかった21歳
――21歳で独立した理由を教えてください。
堀川格好いい理由はないんです。私は中学校にもきちんと通っていませんでした。不良だったわけではなくて、人に決められた時間に登校して、人に決められた場所に座って、人に決められたことをする生活が、とにかく苦しかった。
高校も静岡県内の私立に進みましたが、3か月ほどで辞めています。その後は実家から現場仕事に出ていました。
ただ、今振り返ると、当時の私は「自由になりたい」と思っていたわけではないんです。単に、束縛されたくなかっただけでした。
――その二つは違うものですか。
堀川全然違います。束縛されたくないだけなら、その場から離れれば実現できます。でも、自分の人生を自分でつくるとなると、どこへ向かうのかを自分で決める責任が生じる。
私は前者しかやっていませんでした。学校にも行かず自由になったはずなのに、目の前の仕事をしながら日々を過ごしていた。何歳までにいくら稼ぎたいのかも、どこに住みたいのかも、何も決めていなかった。だから人生は何にもなっていなかった。
いつでも自由と責任はセットだし、義務と権利はセットです。
――転機は何だったのでしょうか。
堀川21歳のとき、ガソリンスタンドでアルバイトをしていました。その頃に、あるファイナンシャルプランナーと出会ったんです。静岡駅のカフェで、生命保険の提案を受けました。
私は当然、保険の話のみをされると思っていました。でもその方が最初に話したのは、保障内容でも保険料でもなかった。金融商品はあくまで手段だ、という話でした。今の生活がどうなっていて、これからどんな生活を送りたいのか。その未来を実現するために必要な手段を考える。商品はその選択肢の一つにすぎない、と。
そして、こう聞かれました。「あなたは、どのような未来を送りたいですか」と。
――即答できましたか。
堀川まったくできませんでした。夢を聞かれても、何も浮かばない。子どもの頃から将来なりたい職業があったわけでもない。中卒でガソリンスタンドで働いている。何年後にどうなりたいかなんて、考えたこともなかったんです。
考えた末に出てきた言葉が、「お金持ちになりたい」でした。
立派な夢じゃありません。今は違う答えを持っています。でも、あの21歳の何も考えていなかった当時の私には、まっすぐな答えでした。そこから、30歳までに年収1000万円を稼ぐ、と決めたんです。
――お金を稼ぎたい気持ちと、自由になりたい気持ちでは、どちらが強かったのでしょうか。
堀川正直に言えば、当時はお金でした。年収1000万円という数字が、私にとって分かりやすい「お金持ち」の記号だったんだと思います。
今なら、年収だけで経済的な自由は測れないと分かります。収入が高くても支出が同じだけ増えれば残りませんし、自分が働き続けないと止まる収入なら時間の自由もない。会社に利益が残ることと、経営者個人に資産が残ることも別の問題です。
でも21歳の私に、そこまでの理解はありませんでした。最初に必要だったのは、正しい資産形成の理論ではなくて、自分が目指す数字を自分で決めることだったと思います。目標が正しかったかどうかより、初めて期限と数字を自分で決めたことに意味がありました。

靴磨きで、1日100人に声をかけた
――最初の商売が靴磨きだったと伺いました。
堀川目標を決めても、すぐ人生が変わるわけじゃないんです。資格も、資金も、事業経験もない。高卒の学歴もない。経営者の家に生まれたわけでもない。何から始めればいいのかも分からなかった。
そこで始めたのが靴磨きでした。大きな初期投資が要らないんです。設備も店舗も在庫もいらない。必要なのは道具と、目の前の人へ声をかける行動だけでした。
私は1日100人に声をかけると決めました。
――実際にやってみて、どうでしたか。
堀川100人に声をかけること自体は、特別な技術じゃありません。難しい計算も資格もいらない。その意味では誰にでもできます。
でも、やってみると簡単ではないんです。声をかけても立ち止まってもらえない。目も合わせてもらえない。断られる。それでも次の人に声をかけないといけない。体力より先に、気持ちが削られていきます。
特別な能力を持っていなかった私にできたのは、誰にでもできることを、誰よりも多くやることだけでした。今も若い人に商売の話をするとき、これは繰り返し伝えています。
――昼はアルバイト、夜は商売という生活だったそうですね。
堀川はい。すぐにガソリンスタンドを辞めたわけではなくて、最初は副業でした。朝から夜までアルバイトをして、そのあと深夜まで自分の商売をする。とにかく睡眠時間が足りませんでした。
事務所もないので、マクドナルドに長時間いて、そこで人と会ったり準備をしたりしていました。店から見れば歓迎される客ではなかったと思います。その後、月3万円ほどの6畳くらいの事務所を借りました。立ち上げの時期は、そこに布団を持ち込んで寝ていました。家に帰る時間さえ、仕事に使いたかったので。
人間関係も、住む場所も、時間の使い方も変えました。友人と会うのは仕事につながるときが中心になって、当時付き合っていた彼女と会うのも月1回くらいの時期がありました。
――そこまでやる必要があると、確信していたのでしょうか。
堀川していませんでした。何度も「ここまでやる必要があるのか」と思ったはずです。やる気にも波がありました。
やる気がある日は誰でも動けるんです。差がつくのは、やる気がない日に決めたことをできるかどうかでした。だから私は、モチベーションに頼るのをやめて、先に予定を手帳に入れて、決めた時間に動く、という形にしました。今も同じです。
私は器用な人間ではありません。一度聞いて何でも理解できるわけでもない。だから学んだことを一つだけ手帳に書いて、習慣になるまで繰り返す。全部を一度に変えようとすると、結局何も残らないので。
――当時、身近にいた店長の姿が印象に残っていると本には書かれています。
堀川ガソリンスタンドの店長は、朝早くから夜遅くまで働いていました。私の記憶では、朝7時頃から夜22時頃まで勤務して、休みは週に1日ほど。月給は17万円ほどだったと思います。
その方は、仕事をしていない人ではありません。むしろ誰よりも長く現場にいて、責任も負っていた。それを見ながら、この組織の中で努力して店長になった先にあるのが、この働き方なのか、と考えました。
会社員という働き方を否定するつもりはまったくありません。私の親も会社員ですし、私自身、アルバイトの給料があったから生活を維持しながら挑戦できました。ただ、給料を増やすだけでは、自分が望む自由には届かないかもしれないと感じたんです。当時は「労働収入」「事業収入」といった知識もありませんでした。ただ、自分の時間を売ることでしか収入が増えない働き方には、どこかで限界が来ると感じ始めていました。
商売の利益がアルバイトの収入を超えたのは、始めてから約1年後です。そこでアルバイトを辞めました。
売れることと、経営することは違った
――30歳までにという目標は、26歳で達成されたそうですね。
堀川4年早く到達しました。海外旅行にも行けるようになって、21歳の自分が想像していた「お金持ち」に少し近づいた感覚はありました。
ただ、達成すると別の問題が見えてくるんです。私の収入は、私が働くことで生まれていました。私が人と会って、私が相談を受けて、私が提案して、私が契約をいただく。動けば増えるけれど、止まれば止まる。1日は24時間しかないし、一人で対応できるお客様の数にも上限がある。
収入が増えて自由になったつもりでしたが、実際には以前より忙しくなっていました。目指していたところは私にとってゴールではなくて、ようやく自由の入口に立っただけでした。
――そこから、会社経営へ関わっていく。
堀川26歳のときに、外資系保険代理店を共同創業して、経営と営業組織づくり、事業開発に関わりました。
ここで、はっきり壁にぶつかりました。自分が売れることと、人が成果を出せる会社をつくることは、まったく別の仕事だったんです。
――具体的には、どのような違いでしたか。
堀川個人事業なら、自分が動けば結果が変わります。会社では、他の人の行動によって結果が変わる。自分が理解していることを、人が理解できる言葉に変えないといけない。自分が自然にやっていることを、再現できる手順に変えないといけない。
私は、自分ができることは説明すれば人もできると思っていました。でも、同じ説明をしても同じ結果にはならないんです。人によって経験も理解の速度も生活環境も目標も違う。同じ数字を目指していても、そこへ向かう理由が違います。
――うまくいかない人を見て、どう考えていましたか。
堀川最初は、行動量が足りないと考えていました。自分は人より動いて、学んで、量を入れて成果を出してきたつもりなので、周囲にも同じ基準を求めたんです。「やればできる」「決めたことをやればいい」と。
それも一部は正しいと今も思っています。ただ、育成にはそれだけでは足りません。なぜその行動が必要なのか、どの順番で身につけるのか、できているかをどう判断するのか、本人がつまずいている場所はどこか。そこを整理せずに「自分はできたのだから、あなたもできる」と言うのは、育成ではないんです。
経営者が設計すべき問題を、本人の姿勢だけで説明していた部分がありました。これは、はっきり自分の失敗です。

人を信じることと、責任を任せることは違う
――これまでで最も苦しかった時期はいつですか。
堀川一つに絞るのは難しいのですが、人に関わる判断は、どれもきつかったです。特に、任せた責任者を降ろす判断です。
役割を渡した後、その人が期待した状態に届かないことがあります。努力していても、責任者として必要な能力が足りない場合がある。本人が悪い人とは限りません。お客様から好かれて、現場では価値を出している場合もある。それでも、事業全体を任せる役割には向いていないことがあるんです。
誰か一人を守るために周囲へ負担を押しつけるのは、優しさではない
――判断を先延ばしにしたことは。
堀川あります。長く一緒にやってきた人なら、なおさらです。役割を下げれば本人は否定されたと感じるかもしれない。周囲から冷たいと思われるかもしれない。関係が終わる可能性もある。だから先延ばしにしたくなります。
でも、責任者が機能していない状態を放置すると、負担が周囲に広がるんです。顧客対応が遅れる。成果を出している人が不公平を感じる。問題を代わりに処理する人が疲弊する。そして本人も、できない役割を背負い続けて苦しくなる。
誰か一人を守るために周囲へ負担を押しつけるのは、優しさではないと思うようになりました。私は優しい人であろうとして、判断を遅らせた経験があります。
――伝え方についてはどうでしたか。
堀川正しい判断をしたつもりでも、説明が足りずに人を傷つけたことがあります。何ができていたか、何が足りなかったか、どの責任を外すのか、今後どの役割を期待するのか。そこまで具体的に伝えないと、ただの降格に見えます。
役割を変えることは、その人の人間としての価値を下げることではありません。ただ、それを言葉にする手間を惜しめば、伝わりません。全てはコミュニケーション不足からくるものだとも学びました。
――共同創業した会社を離れたときは、どのような状況だったのでしょうか。
堀川組織が大きくなれば、考え方の違いも大きくなります。誰が最終判断をするのか、利益をどう使うのか、どの速度で広げるのか。仲が良いだけでは続かないんです。権限、責任、報酬、将来像を、言葉と現実で整理する必要がある。
退社の経緯を、誰かが正しくて誰かが間違っていた、という物語にするつもりはありません。基本的に自分の考え方が未熟だった部分が多いと思っていますし、伝えるべきことを言葉にできなかった部分もある。問題が小さいうちに向き合わず、判断を遅らせた部分もあったと思います。全て自分の責任だと思います。
――肩書きを手放したとき、何が残りましたか。
堀川関わった人との信用でした。相談を受けてきたお客様、一緒に働いた仲間、学ばせてもらった先輩経営者。所属が変わっても残った関係があります。
もちろん全員ではありません。会社にいたから続いていた関係もあるし、私の至らなさで信頼を失った関係もあったと思います。それでも、ゼロに戻ったわけではなかった。
このとき学んだのは、事業上の失敗は修正できるし、失ったお金も取り戻せることがあるけれど、自分の損得を優先して人を裏切って失った信用は、取り戻すのに長い時間がかかるということです。若いうちは早く挑戦して早く失敗したほうがいい。ただ、その失敗だけはしてはいけないと思っています。
自分の損得を優先して人を裏切って失った信用は、取り戻すのに長い時間がかかる
2020年4月6日に、BONDS Asia Holdingsを設立しました。
経営者の孤独は、数字には表れない
――事業が増えて、不安は減りましたか。
堀川減りませんでした。大阪、東京、静岡へ拠点が広がって、関係する人は150人を超えました。外から見れば成長しているように見えたと思います。でも、経営者の仕事は減らないんです。むしろ見えないリスクと、守る責任が増えていきました。
売上が増えても、現金が増えるとは限らない。人数と拠点が増えれば会社が強くなるかというと、そうでもない。「忙しい」は、経営ができている証明ではありません。
――誰にも相談できない孤独を感じたことはありますか。
堀川最後に決めるのは、結局一人になります。相談はできますが、決めた結果の責任は分けられない。
私は、あるときから死と健康を意識するようになりました。知人の経営者が病気になった知らせを受けたことがきっかけの一つです。私の夢が書いてるノートと一緒に「あと半年で寿命が尽きるなら、何をするか」という項目を、毎日見る習慣にしています。
死ぬ気で取り組むことと、体を壊すことは違う
――重い習慣ですね。
堀川でも、そうしないと優先順位が見えないんです。人は、人生がいつまでも続くように感じます。来年やればいい、仕事が落ち着いてから旅行すればいい、お金がもっと増えてから家族と過ごせばいい、と。経営者の仕事が完全に落ち着く日は、簡単には来ません。
私自身、無理をして体を壊したこともあります。20代に集中して働いたことは後悔していませんが、睡眠不足や体調不良を成功の証明にするべきではないと今は思います。死ぬ気で取り組むことと、体を壊すことは違う。同じ無理を何年も続けないと成立しない事業は、仕組みとして弱い可能性があります。

「税金が高い」という感情から始まった
――30歳頃から、税金と資産の問題に向き合い始めたそうですね。
堀川正直に言うと、最初は感情でした。「これだけ働いて、リスクを負って、利益を出したのに、なぜこれほど手元に残らないのか」と。
税金は社会を支えるために必要です。会社が使う道路も制度も医療も治安も税で支えられている。だから払うこと自体を否定するつもりはありません。ただ、経営者として、合法的に選べる方法を理解しないまま、必要以上に非効率な状態を放置するのも違うと思いました。
それで、税理士、会計士、弁護士、海外の専門家と、いろいろな方に相談しました。
――何が分かりましたか。
堀川同じ状況を説明しても、専門家によって提案が違うということです。国内の法人活用を勧める人、役員報酬や退職金の設計を重視する人、不動産や保険を提案する人、海外を選択肢にする人、何もしないほうがいいと言う人。
どの意見も、その分野では正しいのかもしれません。でも、自分の事業と個人資産と家族と将来像を一体で考えた答えを、誰か一人が出してくれるわけではなかった。最後は経営者自身が目的を決めて、専門家の意見を組み合わせて判断するしかないと分かりました。
税金は、利益が出た結果です
――節税商品の提案も多く届いたと思います。
堀川届きます。ただ、「税金が減る」という言葉だけで判断すると、目的を見失います。
税金を100減らすために手元資金を300使うなら、その300が何に変わるのかを見ないといけない。将来戻ってくるのか、価値が下がる可能性はあるのか、途中で現金化できるのか、本業の資金繰りに影響しないか、税制が変わったらどうなるか。
税金は、利益が出た結果です。税額だけを消そうとすると、利益や現金まで失うことがあります。大事なのは支払う税金をゼロにすることではなく、税引き後に何が残って、その資産が将来どんな価値を生むかだと考えるようになりました。
――今、経営者から節税相談を受けるときは、何から聞きますか。
堀川税金の話からは始めません。会社にいくら必要か。個人でどんな生活をしたいか。家族へ何を残したいか。事業を続けるのか売却するのか。日本に住み続けたいのか。海外で事業をしたいのか。
それを聞いた後で、必要な専門家と選択肢を整理します。節税は目的ではなくて、全体設計の結果の一つだと思っているので。
海外は「魔法の節税方法」ではない
――30歳で日本の外へ出られました。税金が理由ですか。
堀川税負担は検討要素の一つでした。それは事実です。でも、税率だけを比べて移住を決めたわけではありません。
住む場所を変えるのは、生活全体を変えることです。家族が暮らす環境、子どもの教育、医療、言語、仕事、人間関係、銀行、住居、日本との移動。全部を受け入れないといけない。税金が低くても事業ができない国では意味がないし、生活が合わずにすぐ日本へ戻るなら、費用も時間も無駄になります。
移住は、税務上の手続きではなく、人生の選択だと思っています。
移住は、税務上の手続きではなく、人生の選択だと思っています
――UAEを選んだ決め手は。
堀川一つには絞れません。税制、事業環境、国際性、治安、移動のしやすさ、家族の生活、将来性。総合して判断しました。世界中から人と企業が集まっていて、中東、欧州、アジア、アフリカの間にあるので国際的な移動がしやすい。考え方の違う経営者と出会えるのも大きかったです。
ただ、いいことばかりではありません。暑さも言語も契約も銀行も、日本とは違う難しさがあります。私は英語が得意ではありません。海外に住めば自然に全部できるようになるわけではないんです。行政手続きや契約で説明を理解できない不安は、今もあります。
――日本を離れたい気持ちはありましたか。
堀川ありませんでした。日本には家族も仲間も顧客も事業があります。静岡で始めた商売が今の土台です。
海外へ出ると、日本の良さのほうが先に見えるんです。時間通りに交通機関が動く。言葉が通じる。契約や商品説明を理解できる。困ったときに相談先が分かる。これは当たり前ではありません。
一方で、日本だけにいると気づきにくいこともあります。物価、賃金、通貨、投資、事業の速度、人口構成。国によって前提が違う。北欧で簡単な食事が日本の感覚より高くて驚いたこともあります。円だけを持っていることのリスクを、体で感じました。
ただ、外貨を持てば必ず安全という話でもありません。通貨には変動がありますし、海外資産には管理、送金、税務、相続の問題があります。知らない商品に投資すべきでもない。大事なのは、資産と収入を一つの国、一つの通貨、一つの事業に集中させることのリスクを理解しておくことだと思います。
――「海外法人を作れば節税できる」という単純な話ではない、と本には繰り返し書かれています。
堀川海外法人は、登記すれば完成する「節税の箱」ではありません。銀行口座は自動的に開くものではないし、事業実態という言葉の重さは、自分で持ってみて初めて分かりました。契約があって、実際の事業があって、管理があって、税務がある。それを継続して運営する会社です。
作った後にやめることも簡単ではありません。向く人と向かない人がいます。
私は、すべての経営者に海外法人や移住を勧めることはしません。税金を必ず減らせるとも言いません。まず現在地を整理して、国内でできることを確認する。海外を使う意味がある場合だけ、必要な専門家と検討する。意味がなければ、使わないという結論もあります。

印税のためではない 今、本を出す理由
――なぜ今、本を出そうと思ったのでしょうか。
堀川印税を得るためではありません。はっきり言うと、この本は売るための本というより、渡すための本です。
私がやっていることは、一言で説明しにくいんです。日本にも海外にも法人がある。初対面の方に説明すると、「結局、何の人なんですか」となる。ホームページや資料では、そこが伝わらないんです。
――何が伝わらないのですか。
堀川判断の背景です。なぜ複数の事業をやっているのか、なぜ海外へ出たのか、何を大事にして意思決定してきたのか。これは商品説明では伝わりません。
私は、オーナー経営者や、士業の方、金融機関の方から「信用確認のために調べられる」立場にいます。値踏みされる、と言ってもいい。そのときに、誇張のない自分の判断基準が一冊にまとまっていることには意味があると思いました。
――SNSや動画ではなく、本である必要は。
堀川SNSは流れていきます。動画も断片になりやすい。21歳から今までを一本の線として説明するには、それなりの分量と順番が必要でした。それに、紙の本は手渡せます。商談の場で相手に渡せる形になっているのは、思っている以上に大きいです。
――ご自身の失敗まで書こうと思った理由は。
堀川成功談だけの本は、読んだ人の役に立たないと思ったからです。
私が本当に苦労したのは、売上を伸ばすところではなくて、人に任せるところ、役割を切り分けるところ、税金と資産をどう扱うかというところでした。そこには正解がなくて、みんな一人で悩んでいる。私が払った授業料を、次の人が同じ額で払う必要はないと思うんです。
それに、失敗を隠した本は、読む人にすぐ分かります。
――本を読んだ人に、どう行動してほしいですか。
堀川私に相談してください、とは書いていません。まず、自分の現在地を整理してほしいと思っています。会社の利益と現金、個人と家族の資産、借入と保証、事業の将来、承継、住みたい場所、守りたいもの。これを一つずつ言葉にする。
そのうえで、何を誰に聞くべきかが分かれば、それで十分です。この本は、正解を教える本ではなく、自分にどんな選択肢があるかを知る本にしたいと思って書きました。
――取材が多く行われたのですね。
堀川はい。何度も聞いてもらいました。私が「こういうことがあった」と話すと、そこで終わらせずに、そのとき何を迷ったのか、なぜその判断を選んだのか、別の選択肢はなかったのかを聞き返される。答えに詰まる質問がかなりありました。
自分では説明したつもりでも、聞き手には伝わっていないことが多いんです。人に聞かれて初めて、自分がその判断をした理由を言葉にできた場面が何度もありました。
――本書を通じて、経営者へ最も伝えたいことは何ですか。
堀川今節税を考えられている経営者の方がいるのであれば方法を探す前に、自分が何を守りたくて、何を実現したいのかを決めてほしい、ということです。
利益が出始めた経営者のところには、提案がたくさん来ます。どれも一部は正しい。でも、目的が決まっていない状態でその提案を比べても、判断はできません。比べる基準が自分の中にないからです。
税金を減らすこと自体を目的にせず、事業、資産、家族、住む場所、承継まで含めて考える。順番はそれだと思っています。
――この本を読めば、正解が分かりますか。
堀川分かりません。制度は変わりますし、個別の状況で結論も変わります。私は税理士でも弁護士でもないので、断定もできません。
ただ、専門家の解説だけでは伝わらないことがあると思って書きました。利益を出した経営者が実際に何に悩むのか。節税提案を受けたとき、何を迷うのか。海外移住を決めるとき、家族と何を話すのか。海外法人を作った後、どんな手間があるのか。専門家の意見が割れたとき、誰が全体を整理するのか。
これは経験しないと書けない部分です。「私はこう考え、こう判断し、実行した。その結果こう感じた」と伝えて、読んだ方が自分の場合はどうかを考える材料になれば、それでいいと思っています。

21歳の自分に伝えたいこと
――10年後、どのような経営者でありたいですか。
堀川自分の夢だけでなく、周囲の人が夢を実現できる環境をつくる側でいたいと思います。
21歳の頃の私の夢は、自分がお金持ちになることでした。26歳で目標に近づいた後、一人で稼ぐことに限界を感じて、経営者を育てる経営者になろうと考えました。今は、仲間が自分の事業で生活できるようになったり、顧客の会社が成長したり、経営者が税金や資産の不安を整理できたりすることのほうが、仕事として大きくなっています。
日本と海外のどちらかを選ぶつもりもありません。日本に住みながら海外事業をやる人もいれば、海外に住んで日本の事業を支援する人もいる。一年の一部だけ海外という形もある。人によって答えが違うので、選択肢を知らないまま決めてしまうことだけは避けてほしいと思っています。
――20代の自分に伝えたいことはありますか。
堀川「決断しよう」と言うと思います。何を決めるかより、決断自体を。
21歳の私は、束縛されたくないとしか思っていませんでした。それだと、離れることはできても、進むことはできない。目標が正しいかどうかは、後から修正できます。でも、未来を何も決めていない状態からは、修正すら始まりません。まずは未来をイメージすることから全て始まります。
――今、失意の中にいる人には何と言いますか。
堀川同じ場所で、同じ知識のまま答えを探しても、答えは増えません。
私は資格も学歴も資金もない状態から靴磨きを始めました。特別なことは何もしていません。誰にでもできることを、誰よりも多くやっただけです。ただ、それを続けているうちに、会う人が変わり、聞かれることが変わり、選択肢が増えていきました。
失敗は次の判断材料になります。私は今も多くの課題を抱えていますし、新しい事業の失敗もあります。健康と仕事のバランスにも悩みます。この本も、完成した答えを書いたものではありません。
――堀川さんにとって、成功とは何でしょうか。
堀川昔は一定の収入が成功だと思っていましたが、今は違います。
時間は有限で、お金は目的ではなく選択肢を増やす手段で、健康がすべての土台である。今の私が持っている基準はそれくらいです。その中で、自分が望む生活を自分で選べる状態にあること。それを、家族と、仲間と、関わった経営者の分だけ増やせること。
まだ途中です。答えは完成していません。ただ、判断の基準は、21歳のときよりはっきりしてきたと思います。

堀川拓郎(ほりかわ・たくろう)プロフィール
1989年、静岡県生まれ。ファイナンシャルプランナーとして独立し、26歳で自身の目標を達成。同年、外資系保険代理店を共同創業し、営業組織づくりと事業開発に携わる。同社を離れた後、2020年4月にBONDS Asia Holdings株式会社を設立。複数の事業に出資・関与し、事業設計、資本政策、提携推進、経営支援を担う。日米のディープテック領域に投資するベンチャーキャピタルへLPとして出資。30歳でUAEへ生活拠点を移し、現在は日本と海外を行き来しながら、オーナー経営者の事業・資産・家族・承継を一体で整理する相談に応じている。
書籍情報
- 書名 経営者のその先へ 21歳の起業から、海外へ出るまでの10年
- 著者 堀川拓郎
- 発行 LEADERS PRESS(株式会社しずおかライフサポート)
- 発売予定日 2026年9月1日
- 予定価格 紙版 1,980円/電子版 1,500円(いずれも税別)
- 判型 四六判・縦組み
予約・購入方法は、決まり次第このページでお知らせします。
本記事および書籍は、特定の節税、投資、海外移住、海外法人設立等を推奨するものではありません。税務、法務、移住、資産管理等に関する判断は、個別の状況に応じて各分野の専門家へご相談ください。記事中の制度・数値は取材時点のものです。

